楊 舒淇(Yang Su-Chi)先生には、台湾での震災復興まちづくり、
グリーンツーリズムの研究成果を生かした教育研究活動を行っていただきました。
先生ご自身から、滞在を終えての記事を寄稿いただきました。
淡路での滞在を終えて
客員教員として、2012年の8月から3週間ほど淡路景観園芸学校にお世話になった。
東京で5年間の留学経験があったが、博士号を取得した後直ちに帰国したため、日本で就職した経験がなかった。
明石海峡大橋を渡り、静かで緑豊かなキャンパスに辿り着き、そして毎日食堂で日替わりランチを食べたり、スタジオで頑張っている学生たちと日本語で会話したりして、自分自身がまだ日本で留学している学生だと錯覚することがよくあった。
景観園芸学校は学生数は少ないが、キャンパスの広さ、教員数、寮などの教育資源からみると、非常に恵まれた学習環境で、また多少交通不便なところはあったが、教員にとっても非常に快適な研究環境だと思った。
淡路島は初めてということで、斉藤庸平教授と学生時代のバトミントン友達であった沈悦教授がお忙しい中で、淡路島を案内していただいたり、おいしいケーキや淡路島の名産をご馳走してくれたり、淡路島の素晴らしさを体験することができた。
客員教員として在日することは、台湾921集集大震災が発生した1999年に遡らなければならない。
集集大地震発生後、震災復旧のあり方をテーマとする日台シンポジウムが台湾で行われ、その場で斉藤庸平教授に初めてお目にかかった。
当時はシンポジウムの通訳と現場調査の協力をしていた。
その11年後、921震災復興の実況を調査することを目的として、ふたたび斉藤先生をはじめとする日本調査団とともに、現地調査を行ったり、自治体を訪問したりしていた。
その後、3.11東日本大震災のこともあって、斉藤先生の提案により、2012年8月に台湾と日本の震災復興の経験について交流、討論することを目的とするセミナーを行うことになった。
そのため、今回の在日は震災復興をテーマとして動いていた。
斉藤先生主催の見学会で、野島断層記念館をはじめ、震災公園など震災関連の施設を見学し、また淡路島のまちづくりや地域産業などについての説明を受け、淡路島を一周した。
また、台湾921集集大震災後、震災記念地の選択とその現況、震災まちづくりや産業復興について、前述したセミナーで報告し、日本人や台湾人といった民族性の違いによって、震災復興に対する考え方も違ってくるではないかと、震災復興に関心がある有識者たちと話しあったりした。
また、平田富士男教授のご好意により、旧街道の観光ポテンシャルを持ついくつかの農家や工場を案内していただいた。
台湾で農業観光や農村観光の仕事にも関わっているので、私個人にとって、その日の見学は非常に啓発的で興味深いものだった。
それは、地域のなかにある身近で、何気ないものを観光資源として利用していき、地域の発展につながること、町の中に散らばっている資源をいかなる方法でひとつの商品としてまとめていくことと、旧街道を歩くということで、その地域の歴史と時代の変化が体験できることが、その日のツアーによって知見を得た。
また、日本庭園についても研究として興味を持っていたので、農家住宅のなかにあるパタンー化された庭がどのように定着してきたか、非常に興味を持った。
そして、ツアー参加者の意見を集めるため、一日体験ツアーを何度も実験的に行っている平田先生の研究熱心さに感心し、自分自身の研究姿勢を見直さなければならないと思った。
そのほか、淡路景観園芸学校が淡路島内の4つの公園計画に参画したり、園芸療法課程を開設したり、地域との連携、社会とのつながりを大事にしていることに対しても印象深かった。
この姿に、大学や大学教員の社会的役割を考えさせられた。
3週間という短い期間ではあったが、与えられた予定と個人研究を進める一方、造園業界の方々や学内の先生と学生といろんな形で交流できたおかげで、非常に充実した、また啓発が多かった3週間を過ごせた。
ただ、在日の 時間があまりも短く、ほかの先生方たちと深く交流できなかったことが非常に残念だと思っている。
また3週間のなかで、斉藤庸平先生と沈悦先生、また生活面で学務課や学生の皆さんに大変お世話になり、最後に感謝の意を表します。