林准教授による報告を以下に掲載します。
国際造園家会議への出席
以前は、関空からオークランドやクライストチャーチの直行便があったが、
震災(2年前のクライストチャートの大震災です)のあとからで、成田からの便のみで出発。オークランドのまちは相変わらず活気がある。
ニュージーランドの国際造園家会議、2日目からは、基調講演やセッションが続いた。
東日本大震災の復興支援や合わせて阪神・淡路大震災のとこの支援について報告した。
主な質問などは、阪神・淡路大震災の経験則を東日本に伝えられるか、ということと、園芸療法を活用したプログラムへの関心が高いことだった。
緑化活動だけでは、復興支援としてあまり評価されないようだが、園芸療法やストレスマネジメントという効果があることを説明すると、皆さん納得された。
全体の発表では、大きな傾向として、都市のランドスケープとルーラル(地方の)ランドスケープ、という二つの潮流があった。
今回の国際会議で感じた最大のことは、環境や自然、田舎、ルーラル、というキーワードがとても増えたこと、そして、それでもなお、造園やランドスケープデザインというものづくりへの視点も確固としてあること、などがまずは挙げられる。
二つ目は、ニュージーランド特有の視点になりますが、マオリ族の存在感だ。
クライストチャーチ市の震災復興に関する調査
2011年2月に発生したクライストチャーチ市を中心とする震災は、多大な被害をもたらした。
死者の数は、200人以下だった。
知人の家もダメージを受けたところと、そうでないところが混在していたので、(受けていない人のほうが多かった)クライストチャーチに着くまでは、これほどまでの大きな被害とは思わなかった。
滞在したホテルの窓から見える市の中心部は数百メートルの範囲で立ち入り禁止。
シャベルカ―やブルドーザーが瓦礫を処理している。
しかし、2年以上たっているということは速度が遅いのだろうか?
教会の塔も折れたままであったが、深刻な状況を見て、教会の塔だけの問題ではないと・・・。
ショッピングストリートは、少しずつですが、コンテナにガラスを貼り合わせたりした、簡易な建造物が並び、まるで、東北の被災地にもできている市場のNZ版のようだった。
午後には、以前市役所の公園課に勤めていた、クリスティーン・ヘレマイヤ氏が市内を案内してくれた。
クリスティーンはエイボン川沿いに車を走らせて、海までの道をドライブした。
なんと、川沿いの土地は殆どが1mから2m地盤沈下していて、もう居住できないそうだ。
観光地の中心としてボート遊びや人が散策しながら、素敵な家々の庭を眺めたそのたたずまいは残っているもの殆ど居住者はいなく、居住禁止になっているようだ。
川沿いの200mの幅は緑地帯になるそうだ。復興は殆どが国主導で行われているという。
市のレベルは越えている、というのが国の見解だそうだが、これまでの市民参加や手作りでいろいろなプロジェクトを遂行してきたこのまちの将来はどのようになっていくのだろうか。
クライストチャーチ市は元々、湿地帯だったところにまちを開拓していったところだ。それが、元の木阿弥のように1mから2m地盤沈下しているところがいたるところにある光景が広がっていた。
最初の日は、オークランドから移動して、簡単にまちなかの中心部を歩いて(と言っても殆どが立ち入り禁止地区だが)、午後には、クリスティーン・ヘレマイヤと市内を見て回った。
ハ―グレーパークを視察したおりには、植物園はガラスの温室が綴じられていましたが、木々は何も変わらず、美しい風情のままであった樹木の被害はほとんど見受けらなかった。
バラ園はそのままに。しかし後ろの温室は閉館されていました。
翌日は、リトルトンという近郊のまちへ。
ここは、3回続いた、地震の震源地の一つで、風光明媚な素晴らしい住宅群が、殆ど居住できなくなっていた。
プロジェクトリトルトンを率いる、マーガレットの車でリトルトンへ。
まず、最初に連れて行かれたのは、手作りのガーデンを見学。
次は、まちの中心部のコミュニティガーデン。
最後がいわゆる調査対象としているコミュニティファーム。
地域住民が自ら共同でまちなかの農地として活用しているところで、地域活性化に大いに役立っている様子を調査することができ、大きな成果が得られた。