Q.みなさんはバリアフリーと聞いて何を連想するであろうか?

おそらくは、車椅子やスロープ、傾斜のない空間などの‘モノ’を思い浮かべられる方が多いのではないか。しかしながら、障害当事者から見た場合、そのような‘モノ’ばかりでなく、車椅子の方はこちら→、ここから先は階段がありますといった表示、あるいは、ここの駅にはエレベータがあるが、あそこの駅にはないといった情報が大変に重要な役割を果たす場合が少なくない。

ここでは、アメリカの国立公園や州立公園におけるアクセシビリティ(国内ではバリアフリーと言われるが、米国ではアクセシブルかそうではないと言う)に関連した情報の取り扱いについて、その概略を紹介したいと思う。

米国の国立公園や州立公園では野外活動プログラムを単位に情報の発信がなされていることが多い。たとえば、この公園では車椅子でキャンプができるが、車椅子で釣りはできない、あるいは、眺望の良い場所に行くためには8度以上の傾斜があるところを5km歩かなくてはならない、ここの滝に近づくには階段を下りる必要があるなどのように、その詳細を記述しているところもある。

これらを見ると障害当事者はどこに行けばどのような野外活動を楽しむことができるのか、あるいはできないのか、その代わりどのような困難がありそうかなど、次の行動や判断に必要な情報の取得が可能となる。

公園の設備に関する情報はむしろマイナーで、概要を記しただけのところが多い。また、最も特徴的と思われるのは、バリアフリーの観点からはマイナスと思われる部分を実に丁寧に情報提供している点だろう。設備がないこと、あるいはアクセシブルではないなら、ないことを表示する。実は障害当事者が最も必要としている情報かもしれない。

 

国内の公園に目を転じると、情報として提供されているものの中身は‘モノ’に関するものばかりであることが多い。しかもほとんどがトイレと駐車場。その一方で、この公園では何が楽しめて、何が楽しめないのか、また、具体的にはどのような困難が予想されるのかといった視点からの情報はまったくといってよいほど無い。自然度の高い公園や森林において、すべてをアクセシブルに改変することは現実的ではないし、それを障害当事者も望んでいないだろう。公園や森林はありのままの実際を知らせてくれるだけでも、利用者はそこが自らにとってアクセシブルなのかそうでないのかの判断が可能となり、次への行動や判断につなげることができる。

設備がないから知らせないのではなく、現状を皆で共有し、どう工夫をするのか皆で考える、それがバリアフリーの本質ではないかと思う。

 

筆者らは、淡路景観園芸学校の社会人向けプロフェッショナルコースにおいて、緑環境バリアフリーに関連したセミナーを実施しているが、そこでは、屋外での疑似体験や様々な支援機器の紹介を加えるなどして、緑環境バリアフリーが単なる‘モノ’の整備で達成できるものではなく、本質を捉えた上での妥当な配慮が不可欠であることに留意をして、プログラムを運営している。

新研究科での教育研究においても、本質は何かを見極めることと実践性の両立を目指していきたいと考えている。

 

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