「現代アート」(Contemporary art)とは、おおよそ20世紀後半から21世紀までの美術を指す用語であり、世界の長い美術史の中で今日に至る最先端の部分を意味している。ではあるが、今日においても、古典的なテーマや技法を用いて絵画や彫刻や工芸作品を制作している作家は多く、こうした作家の作品は通常、現代アートとしては認識されていないので、「現代アート」とは、現代のアート全般を指す用語ではなく、「現代アート」という名称の美術における一つのジャンルを意味する用語なのだと考えた方がよい。
 そして、現代アートは、アニメやマンガなどのサブカルチャーとは異なり、近年著しく改善されつつあるが広く一般大衆に受容されているものではなく、現代アートファンとでも呼んだ方がいいような一部の人々に支持されるものであり、そうでない人にとっては、わけのわからない難解な美術としてとらえられることもある。一方で、現代アートの一部の作家の作品が、数十億円というような高額な価格で取引されて話題になったり、現代アートに対し、国や地方公共団体や企業などが助成を行い支援する事例も多い。
 そして、ここで問題とする現代アートを都市・地域環境の中に導入し、多様な問題を解決しようとする事例も数多くみられる。それは、大きく二つの時代に分けてとらえるのが妥当である。

 

●1960年代から1990年代後半まで
 この期間の出来事の中で最も重要なものは、日本全国の地方公共団体が大量の彫刻を街路や都市公園や緑地などに恒久性をともない設置したことである。その総数は集計されておらず不明だが、筆者は3,000点程度の事例を収集することにより総数は2万点程度に及ぶのではないかと推測している。この期間には、アメリカやフランスなど旧西側諸国においても国や地方公共団体が主体となって大量の彫刻を設置している。ただし、日本の彫刻設置事業は、諸外国に影響を受けたものではなく、独自に開始され展開したもので、90年代に入ると、これらの彫刻はパブリックアートと呼ばれるようになる。
 設置対象となったのは、そのすべてが現代アートのカテゴリーに収まるとはいえないものの、作家の自由な意思によって制作された純粋な美術作品で、基本的に、作品の内容と題名に関し、作家が地方公共団体に干渉されることはなかった。
 地方公共団体の彫刻設置の目的は、都市環境の改善や文化の振興などとされ、それぞれ、公園課などの都市整備系、文化振興課などの文化教育系のセクションが所管することが多かった。
 ただし、これは60年代から80年代において特に顕著にみられたことなのだが、作家は、設置場所や地域に対し、積極的に貢献することを避けていたのである。例えば、都市環境の改善を目的として、設置される作品であるにもかかわらず、作家が設置場所を把握して作品制作を行うことは少なかった。それは、作家の態度だけではなく、地方公共団体が既成の作品を購入したり、野外彫刻展を開催して設置場所を想定しないで制作された作品を入手するなど、制度的に作家が設置場所や地域に対し貢献する姿勢をみせなくてすむように配慮していたことがある。
 なぜ、このようなことが行われたのかというと、その理由は、冷戦構造という当時の社会的背景に内在されている。ソビエト連邦は、芸術家に自由な制作活動は認めず、指導者の偉大さなどを表現することを強制していた。街中には、レーニン像やスターリン像などが林立することになる。実は、日本を含む旧西側諸国の街中の彫刻は、こうしたソビエト連邦の彫像に対抗するために、作家の自由な制作活動により制作された作品である必要があり、本質的には自由主義のシンボルだったのだ。その証拠に1991年にソビエト連邦が崩壊し、市民によるレーニン像やスターリン像の撤去・破壊が行われると、アメリカでは、パブリックアートに対する連邦政府の補助金が打ち切られ、彫刻設置事業は急速に終焉に向かう。日本においては、国の補助金は支給されていなかったのだが、バブル経済の崩壊と重なり、アメリカと同じ状況になったのである。
 この時代のパブリックアートは、本質的には、社会から自律した芸術作品として自由主義のシンボルになっていた。作家は、社会に対し積極的に貢献しない姿勢で作品制作を行うことにより、結果的に当時の社会に貢献していたのである。

 

●2000年代から現在まで
 この期間の出来事の中で最も重要なものは、日本中の農漁村、商店街、工業地帯、市街地、集合住宅、美術館など多様な場で、期間を限定した、アートのイベントが開催されるようになったことである。主催者は、地方公共団体、NPO、企業、大学、アーティストの団体など多様で、企業メセナや公的助成を得て開催されるものが多い。通常、このようなイベントに対しアートプロジェクト、あるいは〇〇ビエンナーレや△△トリエンナーレなどというように地名を冠した名称がつけられることが多いため、近年では地域アートという用語も用いられるようになっている。
 アートプロジェクトに出品される作品は、現代アートが主体となることが一般的で、それらは、展示場所を意識して制作されることが多く、景観との融合や地域の歴史の表現などだけでなく、コミュニケーションやコミュニティに着目しつつ住民との協働により作品を制作するものなど、アートがいかにして社会に貢献するかという点が、クローズアップされるようになる。
 こうした作品は、地域の魅力の再発見や住民に新たなアイデンティティをもたらすなど、貨幣価値では表現しにくい社会的価値を生み出し、それが評価されるようになる。一方で、いくつかのアートプロジェクトは開催期間に数十万人という集客を果たし、無視できない経済波及効果を地域にもたらし、経済的な観点からも注目されるようになる。それは、人口減少に悩む地方で開催されるアートプロジェクトにおいて特に顕著なものとなり、資本主義から見放された地域にアートが光をもたらすような出来事となる。さらに、アートプロジェクトは、それまで難解なものとしてとらえられがちであった現代アートを多くの人々に身近なものとし、現代アートの普及・発展にも大きく貢献した。
 実際には、アートプロジェクトは90年代から少しずつ始まっていて、00年代以降に急拡大するのだが、その背景には、冷戦終結以降、世界全体が資本主義に覆われてしまったことがある。冷戦期の旧西側諸国で重視された、社会から自律したアートの価値は、冷戦終結とともに低減してしまう。一部のアーティストは、資本主義がもたらす商業社会の中で、作品を販売することに専念するか、あるいは、大都市中心部で大規模に進められるようになった複合開発の超高層ビルの中に、それを所有する資本を賛美するかのようなパブリックアートを制作するようになる。 
 アートプロジェクトは、こうした「資本主義アート」とは異なるタイプの価値を模索した結果生まれた現代アートの一側面なのである

 

 

 



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