本校のデザイン系インストラクターに従事して早4年になりますが、そのむかし、私自身も淡路景観園芸学校で濃密な二年間を過ごした学生のひとりでした。当時は自分が興味の持ったことや好きなことしかやらない奔放な学生だった記憶があります。
 
卒業後は公園の計画づくりや設計、運営管理に関わる業務などをしていた造園設計コンサルタントに8年間勤めていましたが、恩師からのご縁により、今度は学生ではなく「教える」という立場として再び園芸学校に舞い戻ることになりました(模範生徒ではなかった自分がなんとまあおそろしい)。最初はあまりに荷が重いので悩みましたが、淡路で過ごした学生生活は、同級生はもちろん多くの教職員の方々、特にインストラクターの先生に助けられた日々だったことを思い出し、恩返しという意味でも学生さんのサポートができたらいいなという思いから戻ってまいりました。
 
今回は元学生という立場から、当時の様子を振り返りながらおはなしをしたいと思います。
 
赴任当初、学生時代によく遊んでいた学内の草原をみてあまりの変わらなさにホッとしました。


 
入学当初の私は美術の世界から転身して、ガーデンデザイナーになるために必要な知識(特に植物の知識)やスキルを身に付けるぞ! と鼻息荒く勉強をはじめていた頃でした。
 
しかし一年時の授業で、コンテナへの寄せ植えなどの体で抱えられるサイズのものから個人邸の庭園設計、さらには街区公園、大規模な商業空間のランドスケープ設計など、様々なスケールの課題を段階的に取り組むうち、施主が一人または家族単位の住宅の庭園設計より、不特定多数の人が快適に感じて利用しやすい空間をデザインする方が自分の性には合っていて、よりワクワクするなと思うようになり、個人邸よりもっと公共性の高い空間のデザイナーへと将来のなりたい像が変化していきました。
 
そう思ったのが多分1年の終わり、就職活動が始まる頃だったかと思います。その頃は、図面を描くのがとにかく楽しくて、スタジオに籠って手を真っ黒にしながら何度も何度もトレーシングペーパーを重ねて最適な線を見つけ出すべく描き続けていました。
 
余談ですが、この学校のスタジオにはパーティションに区切られた個人ブースが完備されており、24時間利用が可能です。夜行性の学生は寮の自室で晩御飯を食べたあとにふらっと来て夜中に帰る、朝型の学生は授業前にスタジオに来て準備して、授業後に課題を済ませて帰る。そんな自由度の高い空間だったため、課題を打ち込むには最適な場所でしたし、部屋の中央には同級生がこしらえた超ロングタイプのこたつがあったため、課題に飽きたらこたつでダべるというのが日課でした。
 
 
私のいた学年は社会人経験者が7割、専門分野も気質も年齢もバラバラな人たちの集まりでした。一人の時間がないと生きていけない私のような人も半分くらいいて、集うときは集うけど基本は個人主義みたいな空気がとても心地よかったです。大学時代は大きな群れのなかから似た属性同士で集ったりしますが、ここでは1学生20人の小単位での学生生活(授業外も含め)になるため、お互いを認めて尊重することから始まります。なので、それぞれの人間性がつかめない頃のグループワークはめちゃくちゃ大変です。だんだんキャラクターがつかめてくると、それぞれのバックグラウンドや性格を強みにしたチーム編成が自ずとできるようになります。このスキルは今も役立っている処世術だと思います。
 
あと、学校と寮は山のなかにあり、やりたいことがすぐできる環境にないことから「今ここにあるもので遊ぶ」というスキルはとても身につきました。多分これは今の学生さんも同じはず。
 

中国からの留学生がつくってくれたニセアカシアの花入り小籠包
山に生えていたクサギの実の染液を抽出中
絵具としても楽しめるヨウシュヤマゴボウ

 


園芸学校は異分野からの学生さんが多いという特徴があります。
異分野からの学生が多いということは、将来の方向性もそれぞれのバックグラウンド×緑の専門分野の数だけ多様ということです。開校してかれこれ23年が経ち、卒業生の職域の幅もどんどん広がっていまし、更なる転身も増えてきています。
 
オープンキャンパスでも「まったくの異分野からの受験ですが大丈夫でしょうか?」というご質問をよく受けますが、むしろそれは将来的に強みのひとつになるので、在学中の2年間は思いっきり緑の専門分野を学んでもらえたらと思います。2年間勉強をしながら「島でくらす」なんてことはなかなかできないです。
 
 
 
 
 
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