石巻南浜津波復興祈念公園の開園(2021年3月28日)
東日本の震災からちょうど10年を経た2021年3月28日、国、宮城県、石巻市が連携して整備を進めてきた石巻南浜津波復興祈念公園が静かに開園しました。
当初予定されていた開園イベントは、コロナの緊急事態宣言下ですべて中止となり、開園時間にゲートを開けるだけ、の開園風景となりました。
しかし、被災者を鎮魂し、これからのさらなる復興を願う多くの方々が公園を訪れ、献花所でそれぞれに祈りを捧げられました。
同公園における市民森づくり活動と私
私は、この公園の基本計画の委員として計画づくりに参画するとともに、当初から地元市民グループとともにこの公園内での「市民森づくり」活動をともに立ち上げ、運営し、そしてこのグループが、この公園の指定管理者に指定されるまで、継続的にサポートしてきました。
森づくりボランティアから、今度は指定管理者として、緊張のなかにも暖かく来園者を迎える立場になった市民グループの皆さんの当日の表情を見ていると、やっと一段落がついた、という感慨と、真の自立的な復興はこれからだ、という新たな決意が私のなかにも生まれてきました。
私が当初から模索した地域自立の仕組みを構築する復興支援
震災から10年。あれだけの大きな被害だったわけですから、現地に立つと真の復興はまだまだこれから、という感じをひしひしと受けます。
復興活動は、地元の皆さんがいつまでもボランティアを続ける活動ではその継続が見込めません。また、外部からの復興支援活動も、時間とともにその活動の温度が低下し、現在も外部から復興支援を行っている団体等はずいぶん少なくなりました。
阪神・淡路大震災とその復興過程を経験し、復興活動の継続の必要性と年々低下していく内外の復興への関心度のジレンマにもどかしい気持ちを抱いていた私は、この市民森づくり活動の支援に入り始めた初期のころから、なんとか彼らを将来この公園の指定管理者に育てられないか、と考えていました。
石巻市の震災被害
東日本大震災における被害は、広範囲におよび、各市の状況を全貌することはあまりないかもしれません。また、陸前高田市や南三陸町などの津波来襲の映像などが、特定の地域の被害のイメージを強く持たせることがあるかもしれません。しかし、実は被災地のなかで死者・行方不明者数が最も多い市町村は石巻市であり、その数は関連死を含め3,971名(直接死:3,277名、関連死:276名、行方不明:418名)となっています。(2021年3月、石巻市役所ホームページより)
阪神・淡路大震災の死者数が6,434名、行方不明者数が3名(2006年内閣府資料)であること、当時の石巻市の人口が約16万人だったことを考えると、いかにこの地域における被害が甚大だったかが再認識されます。
森づくりへの関心と兵庫とのつながり
そのような大災害に見舞われながらも、地域の人々は復興に向けて動き出しました。
特に、市内でも最も被害の大きかった海辺のまち「南浜地区」は、ほとんどの地域が「災害危険区域」に指定され、住民はもとのまちに戻ることはできなくなりました。
代わりにこの地区には国営の復興祈念施設と宮城県、石巻市の復興祈念公園が連携して整備されることとなったのですが、元の住民だった方のなかに、この公園のなかに復興を象徴するような森づくりを自分たちの手で行っていきたいと考える人々が出てきたのです。
当時、宮城県と兵庫県は復興支援のパートナーの関係にあり、また、宮城県立の宮城大学と兵庫県立大学の連携協定も締結されたことから、このようなつながりのなかで、この地域の人々の森づくり活動支援の依頼が、阪神・淡路大震災以降、本学において花と緑のまちづくりボランティア育成を行っていた私のところに来たのです。
森づくりのスタート
2014年秋、この南浜地区近隣の樹林から樹木の種やドングリを採取して、播種する活動を始めました。
当初から私が提案し、地域の方々も賛同を得たことは、苗を買って植えるだけの森づくりではなく、地域のタネやドングリから苗を育て、現地植え付け後も継続的に森を育て、ほんとうの地元の森を再生していき、その森とそれに関わる人の姿を復興の象徴にしていこう、ということでした。
しかし、スタートした育苗活動は困難を極めました。当初、今は震災遺構としての保存が進められている門脇小学校のプール跡地を借り、簡易なビニールハウスを建てて育苗を始めたのですが、何せ給水施設も何もないところです。特に夏の日照りの時期、地域の方々は、毎日自宅からポリタンクでここまで水を運び、水やりを続けてくれたのです。
そのエネルギーの源泉は、復興への熱い気持ちとともに、小さな芽を出して、水やりに応えるかのように育つ苗木の姿だったのではないでしょうか。
指定管理者になるまで
最初の播種から3年後の2017年秋、いよいよ苗木を公園計画地に植樹する日が来ました。このときは、ドングリの一部をこちら兵庫でも預かり、育苗していたものを「里帰り」もさせました。
その後、毎年植樹を進めており、最終的にはこの公園内で約60,000本の植樹が行われる予定です。
しかし、育苗も植樹も費用や労力がかかります。そして、なにより大変なのは植樹後の除草や剪定、間伐です。照葉樹を植樹しておけば、その後自然淘汰が進み、潜在自然植生に近い森ができる、という学説を唱える人もいますが、現実はそのようなものではありません。(これまで、4年近く植樹を続けてきましたが、放っておくと生長の早いごく一部の種だけが他を圧倒・被覆してしまいます)
そのような管理を継続的に行っていく管理者を、指定管理者制度を適用して選定することが決まり、2020年の夏から公募が始まりました。
私は、このような大規模な公園の管理は、必ずや指定管理者制度が適用されると想定していましたが、一方では、それまで支援してきた市民グループ単独では、このような大規模な公園の指定管理者に選定されるのは難しいことも感じていました。
そこで、共同企業体方式(JV)を採ることを企画し、その連携団体や企業を探し、JVを結成させ、そしてJVで応募書類を作成していく指導を行い、2020年の12月、県議会・市議会の議決を経て、このJVが晴れて指定管理者に選定されました。
指定管理者としての業務の推進とこれから
2014年、市民の思いから始まった森づくり「活動」は、今、公園の指定管理者としての「業務」になっています。しかし、業務ということは、自分たちが自分たちのために森づくりを続けるというだけではなく、それをより多くの人々に広げ、それに関わってもらうことによって人と自然との共生により多くの人々が思いをいたしてもらい、そして復興の姿を世界に発信していくという重いミッションがともなってきます。
このミッションの達成は、簡単にできるものではなく、これからもいろいろな取り組みを、持続的に行い、そして成果を出していかなければなりません。
しかし、そのような長い道のりを経て、被災地の人々がそれを達成していくことこそが真の復興と言え、それを持続的に支援していくことが真の復興支援だと考えています。
このような考えのもと、これからも被災地の方々といっしょに考え、それを息長く、継続的に実行していきたいと思っています。
(参考文献)
平田富士男(2014) シリーズ「復興のランドスケープ」 被災経験があるからわかること,復興経験があるからできること -復興「支援」と「連携」と―、ランドスケープ研究77-4、359-360.
平田富士男(2016) 地域の種、市民の手で進める復興の森づくり、ランドスケープデザイン107、6-9.
古藤野 靖(2021)石巻南浜津波復興祈念公園と復興の森づくりについて、ランドスケープ研究85-1、32-33.