大内山塾というところ

沈 悦

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大内山塾,1993,(水彩画 沈悦)

 

三重県度会郡に大内山村という村がありました(現大紀町)。この風光明媚な自然に恵まれた人情豊な山村に、1983年から日本のどこにもない国際学習塾が開かれました。塾は「大内山塾」と呼ばれ、故慶大教授、西欧外交史学者の内山正熊先生が定年後に退職金を出して創設した塾です。内山先生は西欧の研究から日中関係の大切さに気付き、グローバル社会になりつつあることを背景に、国際的な考え方を持つ人間を育てようと、毎年、中国から若い技術者を留学生として招聘し、緑関係の実学研修や日本語教育などを行いました。

中国からの塾生のほとんどは、林学、造園学、法学、医学などさまざまな分野から選ばれた好奇心溢れる20代の若者です。人口が二千人未満の大内山村は全力をあげてこの異国の若者たちを歓迎し、10数年にわたってこの小塾を暖かく守り育ててきました。農協の米を、酪農組合の牛乳を、村人の収穫した野菜や鮎を塾に運んできました。このような環境に恵まれた塾生たちは村民との絆を形成し、大内山村を自分の第二の故郷として人生に位置づけました。塾の5期生、日本行政の研究家、現北京大学教授の白先生は、大内山村は人の平等、信頼をもっとも感じたところですと語られました。

20年前、私もこの大内山塾の一員になりました。塾に辿り着いたのはある日の夜でしたが、玄関を入るとすぐに内山先生御一家に囲まれ、一緒に夕食を頂きました。私は内山先生ご夫妻が遅い時間までわざわざ夕食を待っていてくださったことにびっくりしたと同時に、皆でつくられた歓迎ムードの中、異国にいる不安感が一掃されました。

大内山塾は珍しい塾でした。塾頭の内山先生とその家族が塾生と同じ屋根の下、同じ釜でご飯を食べて暮らし、日本語の教育も日常生活の中で行っていました。私は塾に入った翌日、先生の家族と塾周辺の田圃を散歩しながら会話練習を始めました。散歩途中に出会った人々との挨拶、散歩コースで見た美しい風景の言語表現、集落での地元農家の方々とのコミュニケーション、シーンごとに日本語を自然に覚えていきました。教室での座学が苦手な私にとって、散歩は何よりの勉強法でした。

大内山塾は「勤工検学」の場ともいえます。三食は塾生たちがつくります。ランドスケープを専門にしている私は、塾での「味の創造」も好きでした。ちょっと残念なことですが、当時の私は食と健康に全く無知で、糖分の高い食材をたくさん用いた「創作料理」を毎日作っていました。今から考えると当時の料理は明らかに先生にとって「健康食品」ではなく、また、塾生のみなさんにも失礼な程のものでした。ところが先生ご夫妻は最初からずっとその料理を召し上がってくださり、美味しい美味しいと褒めてくださいました。先生は塾生に対し何でも包容的で、いつもポジティブな評価でした。そのおかげで、私は何にも不自由を感じませんでした。先生のことを容易に真似できるとは思いませんが、広い心をもって自分の包容力を高めながら、最善を尽くしていくことが私のこれからの努力目標です。

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大内山村の田園風景(1993)

 

都会育ちの私に大内山塾でもう一つの出会いがありました。それは私の人生初のルーラルランドスケープとの出会いです。熊野古道に近い塾の周辺は、新緑に包まれた山々、水田に映された屋敷林の数々、神秘的な朝霧、妖艶な夕焼け、早春の花雨、晩秋の錦絵、時とともに変化する自然と人の営みが調和した山村風景は、美しく、日々心を打ちました。私にとって日本の原風景と言えば大内山村の田園になるのです。

大内山塾の運営費は主に内山先生の慶大時代の650余りの弟子と有志たちからの支えによるものでした。語学の理論指導は名古屋大学総合言語センターの教授やほかの教育機関の方々の休日ボランティアでした。小さな塾はこのような多方面の支援によって15年間を歩みました。大内山塾に育てられた68名の塾生は現在世界各国で活躍しており、そのうち、大学教授や講師などは延べ30名近く、研究機関や政府機関で要職を務めているのは10数名、ほかは、日中経済活動と文化交流のマネジメントの仕事に携わっています。この塾の卒業生はどこに行っても、どんな仕事をしても自分の出発点は日本の大内山塾だと皆が言います。今年、内山先生を偲ぶ会で世界各地から元塾生が集まってきました。仙台市で東日本大震災の復興ボランティアをし続けてきた人もいました。当日立ち上げられた同窓会では、これからは皆で社会にご恩返しをしましょうと、互いに連携しながらそれぞれの立場で努力していくことを改めて確認しました。

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大内山塾付近の「頭之宮神社」

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大内山村の水辺,1991,(水彩画 沈悦)

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