淡路景観園芸学校園芸療法課程
豊田 正博

私は、園芸療法士です。園芸療法士を育て、園芸療法の研究をしています。
今回、園芸療法士がどのように園芸作業を見ているか、「たねまき」を例にお話しようと思います。

たねまきを 終えて感じる もやもや感
あなたは「たねまき」、と聞いてどんな場面を思い浮かべますか?
ミレーの絵のように広い畑に豪快に種をばら撒けば気持ちよいのでしょうが、小さな鉢や育苗箱、あるいは畑に種をまく場合など、「細かい作業で、ずっとやっていると肩がこりそう」というのが本音かもしれません。ヒマワリやアサガオのように比較的大きな種でも、まいた後、「本当に芽が出るだろうか?」、「私のだけ芽が出なかったらいやだな」など、なんとなく、もやもや感を覚えませんか? 多くの園芸作業は、終えるとその成果が見える(花壇に苗を植える、草を取るなど)ため、達成感を得易いのですが、「たねまき」はちょっと毛色が違うように思います。



小さな芽 心の中にも 小さな芽
そんなたねまきですが、生きることへの興味を失いかけた人にとって、小さいけれども強いメッセージとして心に響くことがあります。「死にたい」が口癖で、食事も拒否的だったお年寄にスプラウトのたねをまいてもらったところ、数日後、発芽した姿をごらんになって「生きとるんやね」と涙を流され、施設の生活にもしだいになれたという事例もあります。


たねをまいても、すぐに結果が見えずに「もやもや」と、じらされる時間があるからこそ、発芽したとき、「あっ」「わっ」「出た!」という喜びの感情が印象的なのかもしれません。実は、この瞬間は、園芸療法士が心待ちにしている、とても大事な瞬間なのです。この瞬間を対象者に見せるため、万が一にも土を乾かして種が全滅することのないよう、毎日、様子を見ています。そして、対象者と一緒に芽生えを喜び合います。お互いに共感の気持ちが生まれるとき、対象者の緊張がほぐれ、心の中に信頼関係も芽生えていきます。


たねひとつ しぜんとつながる 不思議ないのち 
たねまきから、育てる人と植物のかかわりあいが始まります。病院や施設生活をしている人にとっては「植物を育てる」という役割が生まれることになります。これは、ベッドから起き上がり、着替え、歩くなどいろいろな日常生活で行う行為も付随して行うことにつながり、心も身体もいろいろな刺激を受ける機会が生まれ、より意欲的な生活、より日常的な生活に近づくことを意味しています。


このほかに、もう一つ大切な意味があります。それは、植物の周りにある身近な自然ともふれあう機会が生まれることです。私たち日本人は、四季の移り変わりの中で暮らし、光を感じ、暑さ・寒さ・涼しさ・暖かさ(気温)を感じ、空気(風)を感じ、自然が作り出す色(朝日、夕日、新緑、紅葉・・・)を感じて、時の流れを認識しながら生きています。植物の成長を楽しみにして外に出ることは、その行為自体、周りの自然に親しみ、五感を使って季節の変化、時の流れを感じ取る機会でもあるのです。

園芸療法士は、植物や作業が人の気持ちや心身の機能にどのような影響を与えているか、その活動をすることで、対象者の生活にどんなことが始まるか?など考えながらプログラムを考えています。

※執筆教員のプロフィールについては、こちら をご覧ください。

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