日本各地の農村と呼ばれる地域にはその地域特有の景観が存在する。人里から離れた奥山では人の影響の少ない自然の景観が成立し、人里に近いいわゆる里山と呼ばれるようなところでは、人の影響が色濃く表れた景観が成立する。前者はゆくゆくは極相林と呼ばれるような、一定の植生が継続する景観となる。それに対して後者、すなわち里山は、人の手が入っている間はその景観が維持されるが、ひとたび人の活動が行われなくなると、植物の種類が変化し、もとの景観とは異なる景観に変貌していく。

そうすると、これまで、里山的な景観がその地域のオリジナリティを出していた場合、地域の特性自体が変わってしまうことにもなりかねない。近年の里山の問題としてそのような変貌が進んでいることがあげられる。

例えば、下記の例は、淡路のある地域の棚田の景観である。稲作がおこなわれており、水田の管理や畦畔(あぜ)の日常的な草刈り等の管理によって形成される景観である。

この景観は、ひとたび稲作をおこなわない田面があると、雑草が繁茂し、その部分だけ周辺とは異なる一体感のない水田の景観となってしまう。

畔の曲線が美しい棚田景観


少し山の方に目を向けた事例が、次の人里の山の例である。

もともとは、里山によくみられる広葉樹林であった山が、人の手が入らなくなると、周囲に存在した竹が繁茂することにより、竹林の山に置き換わってしまった例である。


里山と呼ばれるような山では、このような変貌が多くの地域で起こっているが、そのことに目を向けてもらうことはなかなか難しい。そのためには、きっかけとなるような活動が必要と考え、淡路の竹を利用した作品を通じた情報発信もおこなっている。

次の写真は、2021年にイベントで制作展示した作品であるが、地域産の竹を用いて、ガーデンを制作したものである。

淡路の竹で制作したガーデンのオブジェ


単に、里山景観が変わってしまうということだけを言うのではなく、竹に目を向けてもらうことから始めようという試みである。発信する側も受け取る側も楽しみがあることで、より身近なこととして考えられるようになるのではないか、という発想からの作品制作である。

今後も、このような楽しみのある発信方法を検討していきたい。

 

 

 



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