1.趣旨
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、未曽有の大災害をもたらし、被災地では、いまだなお、原子力発電の問題が解決せぬままに不安な日々を送られている住民が多数存在しています。当淡路景観園芸学校及び兵庫県立大学緑環境景観マネジメント研究科においては、教職員及び学生の編成により、被災地における支援活動に従事しました。これらの活動は、微力ながら、被災地での復興支援につながるとともに、学生の参画意識を高めることを目的としています。研修及び支援活動の詳細は以下のとおりです。
テーマは、「夏休みに東北で復興支援に携わる」というもので、日時は9月3日-7日の期間になりました。主な内容としては、兵庫県と連携する関係にある宮城県内において、行政機関、大学等の研究機関、子供の遊び場づくりを行っているNPO、そして造園関係者等と連携し、東日本の震災復興に関わる地域支援活動を行いました。
主催は、淡路景観園芸学校、兵庫県立大学緑環境景観マネジメント研究科、協力として、兵庫県立大学 自然・環境科学研究有志、造園学会関西支部チーム1、阪神グリーンネットのメンバーなどです。
学内からの参加者は、教員が5名(林まゆみ准教授(チームリーダー)、嶽山洋志講師、阿久根端美インストラクター、澤田佳宏講師(一部のみ))で、学生は、研究科2期生が7名、研究科3期生が8名の計15名です。
2.3日の出発から4日の石巻市での活動まで
活動行程としては、以下のとおりです。
9月3日
16時30分 兵庫県立大学/淡路景観園芸学校を出発しました。台風の影響で風雨の中、学生たちは不安な面持ちです。研究科長/校長の訓辞を受けて、気を引き締めて・・・。
出発に先立っては、事前に学内でストレスケアなど、被災者の心理に対応するための研修や現地で実施する園芸療法を活用した「フラワーアレンジメント」の講習会を開催しました。
9月4日
朝、宮城県に着くと、強風や雨は消えて、くもり空の合間からは、晴れ間も見えました。これで、活動がとてもやりやすくなる、と全員喜びました。さっそく、仙台からバスを乗り換えて、最初の活動地である石巻市へ。
ここでは、仙台で活動されているNPOなどの紹介で、「西公園プレーパーク」の会が活動されている、「亀が森公園」と、石巻市から紹介された「河北総合支所」管内の仮設住宅の2カ所で子供たちに遊びを提供するプレーパーク活動を行いました。
前の写真の左側は「亀が森公園」にて、プレーパークの会の方々と挨拶をするところです。右の写真は、「河北総合支所」管内の仮設住宅で子供たちが三々五々に集まってくる様子です。活動の前には、パンフレットやチラシなどを配布、掲示しました。
河北総合支所管内の仮設住宅では、隣接している公園で子供たちが集まって楽しく遊びました。長縄跳び、水鉄砲、追いかけっこ、ブランコ、おやつを食べたり、など普通の遊びですが、思いっきり声をあげたり、走り回ったりする声が響きました。
一方、「亀が森公園」でもプレーパークの会のメンバーや学生、教員たちが色々な活動をしていました。竹を切って道具作りなどもしました。最後には、風車を皆で作って記念撮影です。
かくして、4日の活動は終わりました。最初調整をしていた、河北総合支所管内の別の仮設住宅は、実は子供たちが大勢津波で亡くなったところでした。そのため、場所を変えて活動をしましたが、子供たちのいない場所での大人のための遊びや、或いは大人も一緒に遊べるプログラムも開拓する必要があるのではないか、という課題も残りました。私たちが帰るときに淋しそうな顔をした男の子の姿が忘れられません。「また来てね!」という言葉に送られて宿泊地であり、次の活動予定地である南三陸町へと移動しました。
南三陸町では、禅宗である曾洞宗の大雄寺(だいおうじ)に宿泊させていただきました。山門への杉の並木は多くがなぎ倒されていました。今夜から寝袋で宿泊です。
3.9月5日の南三陸町 歌津「平成の森」の仮設住宅での活動
この日がメインの活動日になります。午前、午後に、合わせて3つのプログラムを2カ所の仮設住宅に分かれて行います。この準備のために、学生たちは、1.花苗緑化(プランター施工実施)チーム、2.フラワーアレンジメント(園芸療法を活用したプログラム)チーム、3.プレーパークチーム、4.仮設住宅環境改善調査チームに分かれて、(一人の学生が重複して担当することになりました)計画を練ってきました。
2カ所の仮設住宅は、どちらも、南三陸町の歌津という場所に建設されています。最初の「平成の森」という仮設住宅は、高台の公園内の敷地に建設されたもので、240戸ありました。しかし、無作為に抽選で選ばれた住民の方々が入居しており、自治会やコミュニティの形成がまだない、というところでした。
次の「港地区」の仮設住宅は、自治会単位で民有地を利用して仮設住宅を建設して入居されたところで、強固なコミュニティがすでに出来上がっていました。花苗緑化(プランター緑化の施工)の調整段階では、「平成の森」では管理する人がいないのでできない、と言われたのですが、「個別のお持ち帰り」ということで募集したところ、40人もの方から手があがりました。「港地区」では、31戸が入居されています。
最初は6棟あるので、それぞれ、2基ずつ、12基の配布を、という希望でしたが、最終的には、全戸配布を希望され、結局30基配布することになりました。総計70基もの、プランターの設置が希望されることとなり、うれしい悲鳴をあげることになりました。下の写真の左は「平成の森」の仮設住宅、右は「港地区」の仮設住宅です。
まず、平成の森の仮設住宅の活動から。
午前10時半には、大勢の参加者が花苗緑化(プランターの緑化施工)のために集まっておられました。学生たちは、人数も限りがある中で、支援してくださった、「花みどり3.11復興支援ネットワーク」代表の鎌田氏が搬入してくださった植物やプランターを並べて、一緒に花の苗を植えていきました。材料は、サルビアファリナセア、ビオラなど冬を越せるものを、ということで運んでくださったものです。
大勢の参加者が楽しく花植えに取り組まれました。笑顔がいっぱいでした。そして、最後には、このような花とみどりに触れることのできる「花の会」の設立にまで話がまとまりました。
午後のプログラムは、「フラワーアレンジメント」です。震災後、花やみどりにかかわるボランティアは初めてということもあり、大勢の参加者が午前からも、そのまま続けてこのプログラムに入って下さいました。「ボランティアの方と直接話をする機会がなかったけれど、花やみどりを介していろいろとお話しができてよかった。」、「花といえば、菊の花くらいしか見なかったけど、いろいろな花に触れてとてもうれしい」などと喜んでくださいました。
プログラムの中では、花のお弁当箱という取組や手浴の紹介などをしました。花とお弁当箱では最後にご自分の作品の紹介をしたり、名前を付けたり、というところで皆さんの笑顔があふれました。「てんこ盛り弁当」、「愛情いっぱい弁当」、「欲張り弁当」などなどなど。(お写真の撮影は了解を得ています。)
それぞれのプログラムには、町の社会福祉協議会に所属されている生活支援センターの支援員さんたちが数名ずつ参加してくださいました。この方々が、さらに別の地域でもこのような活動を支援していただけるようにということでです。
午後の最後のプログラムはプレーパーク活動です。5日は月曜日で平日ということもあり、子供たちの帰宅に合わせて最後の時間の開催となりました。
4.南三陸町 歌津 港地区の仮設住宅での活動
平成の森での活動と同時進行で港地区でも活動を始めていました。ここでは、約半数の住民の方々が、花苗緑化(プランター緑化の施工)に参加され、他の住民の分も作成しておられました。自治会が中心となって入居されていることから、大変強い相互扶助の形が整っていました。
午後からのフラワーアレンジメントでも○○さんの分も作らないと、ということで大勢の参加者が来られない住民の方のものまで作成されました。花や緑に触れる時間がこんなに大勢の参加者の笑顔を引き出すことができることがわかり、準備してきた私たちもとてもうれしく思いました。
子供たちとのプレーパーク活動では、普段から一緒に遊んでいるメンバーが仮設住宅外からもやってきました。
5.大雄寺での庭の清掃と剪定
この日の終わりには、港地区の仮設住宅の皆さんが私たちに夕食まで準備してくださいました。どちらが支援しているのかわからない状況です。「支援物資のカレーライスで何もないけど、良かったら泊まっていってください。」とまで言ってくださり、夕食会は私たちが持参した果物なども交えて和気藹々の交流会となりました。しかし、自治会長さんから最後にご挨拶をいただく中で、みなさんがそれぞれにとてもつらい体験をされていながら、それを乗り越えて行こうと前向きに頑張っていらっしゃることがよくわかりました。
平成の森では、まだまだ前向きに、というような気持ちにならない方もたくさんおられ、そのような方々はこのようなプログラムには参加できない、というお話もいただきました。少しでも花やみどりに触れる機会を提供することで、被災者の方にひと時でも笑顔があふれ、話が弾む機会が増えることを願いました。
宿泊させていただいていた大雄寺(だいおうじ)では、毎朝、庭の草引きや剪定を行いました。今回大変お世話になった南三陸町の造園家の勝倉氏に指導していただきました。かなり、「辛口」の指導をしていただき、学生たちには良い勉強になりました。
6.南三陸町せせらぎ公園の復旧ボランティアと町内の調査
9月6日
最終日は、南三陸町の中心部にある小さな「せせらぎ公園」という場所の復旧のお手伝いをしました。震災前は美しく整備された日本庭園風の公園でしたが、震災後は瓦礫の山になっていました。勝倉氏たちが復旧ボランティアを既に始められており、瓦礫は随分と撤去されていましたが、まだ雑草が生えている、という状態でした。
学生たちは、草引きや提供させていただいた低木の植栽をしました。
もう一つのチームは南三陸町内の調査に出かけました。
町全体を見渡せる高台からは被害の全貌が・・・。志津川の左岸は嵩上げをして、住宅地を戻すそうです。また、右岸は、海浜公園や高層建築を予定している、という復興計画案ができつつあるそうです。
写真の防災対策庁舎は、避難を呼びかけながら、最後まで残った女性職員のおられたところで、今でもたくさんの花が供えられていました。
午後になり、私たちは、南三陸町をあとにして仙台へと戻りました。
7.東松島市、松島町を廻って帰路に
途中、東松島市や松島町の被害の実態なども調査しました。
東松島市は、野蒜地区など津波の被害が甚大なところで、学生たちも声を失っていました。
港にあるペンションが1階部分がえぐられたようになっており、被害が甚大な建物がありました。そこにちょうど持ち主の女性が見に来られていて、私たちが兵庫県から来ていることを知り、「そうやって全国から気にかけて来てくれる、ということがうれしい」と泣いておられました。私たちも一緒に泣きました。
一方、松島町は、半島や島嶼に守られて、被害の比較的少ない地域です。なぜ、被害を受けていないかを考えることも必要ではなかろうかと考えました。
夜、食事を済ませて、また夜行バスに乗って淡路へと向かいました。あけて、7日の朝、私たちは無事淡路島へ到着することができました。最初は不安いっぱいの私たちでしたが、帰学するころには、充実した達成感を持つことができたことは幸いでした。
今回の取り組みは、大勢の方の協力や協働があったからこそ、実行できたものです。
ここに、皆様への御礼と感謝を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。
ご協力いただいた皆様です。
仙台市役所、花みどり3.11復興支援ネットワーク宮城、NPO法人冒険あそび場―せんだい・みやぎネットワーク、西公園プレーパークの会、石巻市復興本部、石巻市河北総合支所、南三陸町復興本部、南三陸町建設課、南三陸町社会福祉協議会生活支援センター及び支援員の皆様、曾洞宗大雄寺、勝倉造園、南三陸町歌津地区内、「平成の森」及び「港地区」仮設住宅の皆様、㈱ヘッズ、兵庫県立人と自然の博物館研究員、阪神グリーンネット