淡路島で魅力的な子どもの遊び場といえば冒険の森(淡路市楠本)や里山基地(南あわじ市伊加利)が挙げられます。これらの遊び場はプレーパークと呼ばれ、子どもたちの「やってみたい」と思う好奇心や欲求を引き出し、子ども自らがそれを実現できる遊び場とされます。子どもの遊びを見守るプレーリーダーがいることも大きな特徴。中をのぞいてみると、竹のスカイデッキや巨大ブランコなどほとんどのものが手作りでできていて、淡路らしいなぁと思うのは、竹を固定するロープに漁師網が使われていたり、クラフトで使用する素材に伐採木や木の実だけでなく、貝殻やビーチグラスが含まれていたりすること。“山にいながら海も感じて遊ぶ”ことができるのは海と山が近接している淡路島ならではといえます。


 またプレーパークには子どもだけでなく大人もたくさんやってきます。近隣住民の方々や大学生、保護者やお年寄りの方々、あるいは、料理が上手な人、工作が上手な人、農作業ができる人、などなど様々な属性の大人に子どもたちは出会います。考えてみれば子どもが普段の生活の中で出会う大人は学校の先生と両親と塾の先生ぐらい。プレーパークは多様な大人に接する機会(社会に入っていくきっかけ)に溢れている場であり、また自分の知らないことがここだったら誰かが知っているかもしれない、自分のやりたいことがここだったら誰かが認めてくれるかもしれない、そういった期待を抱ける場だとも言えるでしょう。

 そんなプレーパークをちょうど2014年に僕も立ち上げました。場所は津波防災まちづくりが活発な南あわじ市福良の高台にある岡の原公園です。津波防災まちづくりとプレーパークがどうつながるのか。実は高台にあるそのプレーパークは避難場所に指定されていて、定期的に遊び場として使われることで避難場所としての認知度を高めることが出来ればと考えています。普段から使っていればいざという時に「あの高台の公園に逃げよう!」ということになるのではないかなと。他にも非常時に使う防災かまどを子どもたちと一緒に作ったり、雨水を溜めてそれをろ過して遊びに使ったり、地域の特産品で非常食でもある素麺を食べたりと、非常時を想定した遊びを展開しています。


 そもそもこのような取り組みを始めたのは、2011年の東日本大震災後に宮城県石巻市の北上小学校校庭とその裏山をセットで活用したプレーパークを体験したことによります。当時、北上プレーパーク有志の会が運営に当たっていて、遊びながら楽しく防災活動を行っているのが印象的でした。また森林インストラクターの方々が雑木の片づけ、風倒木や枯れ木の撤去、茂みの伐採、遊歩道の整備などを担われ、防災と子どもたちの活動のため緑の専門家の役割も非常に大きかったようです。さらに子どもたちのストレスケアにも役立っているようで、例えば竹をひたすら切る遊びなど何かに没頭する遊び、ボール遊びなどの仲間と共有できる遊び、あるいはリーダーに甘えたりと、色んな場面で子どもたちにとって発散の場となっていました。また昔ながらの竹の水鉄砲づくりは高齢者も参加して自身の経験を伝えるなど、子どもだけでなく大人も楽しめる場所にもなっていました。震災後は生活環境の変化が大きく子どもも大人も様々な我慢を強いられますが、遊びを通してそのようなストレスを発散させることが可能になるし、非常時でなくともこのような遊び場を展開することで地域の方々の居場所が出来上がっていくのではないでしょうか。

 


 そして、2020年から続くコロナ禍にあっても、プレーパークは開催し続けています。手を繋いだり、顔を近づけてヒソヒソ話をしたり、3密のうち「密接」は子どもたちの成長にとって重要だと思うので、2密を避けながらの活動です。普段くる子どもたちは10人くらいですが、コロナ禍の多い時は大人も含めて40人くらいになり、外遊びに対する人々の欲求は高いことがわかります。震災後やコロナ禍といった非常時にあってプレーパークが果たす役割は非常に大きく、また日常的にも子どもたちだけでなく地域の方々にとっての居場所にもなるよう、活動を継続していきたいと考えています。

 

 



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