ユニバーサルデザインの敵はユニバーサルデザイン?
美濃 伸之
今回のコラムでは、ユニバーサルデザインの思わぬ‘敵’について書いてみようと思います。
最近、福岡にある国営海の中道海浜公園に行くようになりました。
http://www.uminaka.go.jp/
砂州の上に整備されていることから、比較的平坦な地形でいわゆるバリアフリー化には好都合。国営公園ですので設備的にもばっちり。ということもあって、障害のある人たちを含んだユニバーサルキャンプが催されたり、サインや情報提供の新しい試みがなされたりと、おもしろいチャレンジを数多く行っています。
ここでは、全国でもめずらしくユニバーサルデザインを専らに考えるグループが立ち上がっていまして、私もそのメンバの一人なのですが、障害者支援のみならず、子育て中のお母さん方や外国からのお客さんへの配慮など、多くの項目について議論がなされています。
ところが、最近の話し合いの際に大きな‘敵’となって立ちはだかるものがあります。それはこの「ユニバーサルデザイン」という言葉そのもの。どうも、「ユニバーサルデザイン」についてとなると、多くの人がなにやらスゴイことをしないといけないと難しく考えてしまいがちで、なかなか意見がでてきません。また、モノや空間に関心がいってしまったり、人によってその理解が大きく違うといったことも少なくなく、みなの意見もなかなか収束しません。
一方で、話し合いの際に、ユニバーサル化などという言葉を使わずに、視覚に依存しないでどんな風に楽しめるか? あるいは、あんまり長距離を歩かなくても楽しめるエリアはどこなのか?といった簡単な言葉で話しはじめると、いろいろな前向きな意見が数多く聞こえてきます。
先日、視覚障害の当事者である仕事仲間にアドバイスしてもらう機会があったのですが、その際に、バラ園などは特別な配慮はないけど、車いすでのアクセスもいいし、香りの楽しさでいろいろな人が楽しめるからもっとアピールしたら・・と2人で指摘すると、あれっ?そんなのでいいの?というような反応が返ってきます。妙な施設があるよりも、そういうのが理想なんですよ、というと、じゃあ香りのことも気にして配置を考えてみるか・・・などと次の一手にまで話が及びました。
こんなふうに、ユニバーサルデザインを考える際には、妙に構えない方がよいこともあって、いまあるものの良いところを探すだけでも効果がある場合があります。
うみなかでは、ユニバーサル化の実際をみなで共有すべく、いろいろな人に公園プログラムを横断的にモニタリングをしてもらう試みをはじめることとなりました。また、ユニバーサル化にかかる多様な視点をより多くの人と共有するためにブログも開設しました。(先日に私も寄稿しました)
http://uminaka.blogcoara.jp/ud/
ユニバーサルデザインという何やらスゴイものがあって、それを完成させるべく皆が頑張るのではなく、ユニバーサルデザインはみなそれぞれの持ち場に内在し、みながそれを発見するだけでも効果があることをより多くの人に分かっていただければいいなと思います。
ではまた。
11.03.31.車いすグループのアクティビティの模様
11.03.31.うみなか横断モニタリング