はじめに
私は2026年2月、シンガポールにおける都市緑化政策と園芸療法の実践現場を視察してきました。
今回の目的は、「自然と共に生きる都市(City in Nature)」を国家戦略として推進しているシンガポールにおいて、都市環境と医療・福祉がどのように結びついているのかを学ぶことでした。
シンガポールは、東南アジアのマレー半島南端に位置する高密度都市国家です。金融・物流・観光の国際都市として知られる一方で、都市緑化政策においても世界的に注目されています。
1967年に始まった「Garden City」政策は、その後「City in a Garden」、さらに近年では「City in Nature」という理念へと発展しました。単に都市に緑を増やすだけではなく、自然環境を都市インフラの一部として位置づけ、人々の健康や生活の質を支える政策へと進化しているのです。
2030年には国民の約4人に1人が65歳以上になると予測される中、高齢化や認知症への対応は重要な社会課題となっています。そのため、自然環境が身体的・精神的健康に与える効果にも大きな関心が寄せられています。

都市政策としての“Therapeutic Garden”
シンガポールでは、国立公園庁(National Parks Board:NParks)が中心となり、Therapeutic Garden(治療的庭園)の整備を進めています。
Therapeutic Gardenとは、高齢者や認知症のある人、地域住民が自然と関わることで、身体的・心理的健康の維持を目指す庭園です。植物配置や動線、休憩空間などにも専門的な設計指針が導入されており、2030年までに30か所の整備が目標とされています。
また、コロナ禍では政府が市民に野菜や花の種子を配布し、自宅で植物を育てることを促しました。これは外出制限下での精神的健康支援を目的とした政策でもあり、日本でマスクが配布されていた時期とは対照的な取り組みとして印象に残りました。
病院で見た園芸療法の実践「Hospital in a Garden」という考え方
今回視察したKhoo Teck Puat Hospitalは、急性期医療を担う総合病院です。この病院では「Hospital in a Garden(庭の中の病院)」という理念のもと、屋上庭園やベランダ庭園が整備され、病室や待合スペースからも緑が見えるよう設計されていました。
特に印象的だったのが、“Garden by the Bed”という取り組みです。これは、作業療法士の「急性期患者にも植物に触れる機会を届けたい」という思いから始まった活動で、植物や培養土を載せた移動式トロリーを病棟へ運び、患者がベッドサイドで園芸活動を行えるよう工夫されていました。
病院内に土を持ち込むため、感染管理についても厳格なルールが設けられており、医療と園芸療法が安全管理の中で実践されていることが分かりました。


屋上庭園で園芸療法を支える人たち
園芸療法に使用される植物は、病院の屋上庭園で育てられていました。そこでは専門スタッフだけでなく、多くの高齢ボランティアが植物管理を担っていました。
「毎日ここで作業することが、自分の健康にもつながっている」というボランティアの言葉が印象的でした。園芸療法は患者支援だけでなく、地域住民の健康づくりや社会参加にもつながっていることを実感しました。

リハビリテーションと園芸活動
Tan Tock Seng Hospitalでは、屋上庭園を活用したリハビリテーションが実践されていました。種まきや収穫といった園芸活動を通して、身体機能の回復だけでなく、達成感や楽しみを得ることも重視されていました。
また、精神科専門病院Institute of Mental Healthでは、患者と地域住民が共にガーデニングを行う活動が実施されていました。これは、精神疾患への偏見(スティグマ)の軽減や、地域社会とのつながりを回復する役割も担っていました。


景観は“健康インフラ”になり得る
今回視察した医療機関に共通していたのは、自然環境が単なる景観ではなく、「健康を支えるインフラ」として位置づけられていたことでした。急性期医療ではストレス軽減や回復支援として、リハビリテーションでは身体機能や自己効力感を高める活動として、精神保健領域では社会参加や地域とのつながりを支える仕組みとして、園芸や庭園が活用されていました。そこには、多職種連携、人材育成、政策的支援など、多面的な取り組みが存在していました。
おわりに
シンガポールの医療機関では、自然環境が「見る緑」ではなく、「人を支える緑」として機能していました。
一方、日本の医療機関では、感染対策の観点から、生花や土の持ち込みが制限されている施設も少なくありません。もちろん、安全管理は医療現場において極めて重要です。しかし今回の視察では、シンガポールの病院が厳格な感染対策を講じながら、患者が植物と関わる機会を積極的に医療の中へ取り入れている姿が印象的でした。
高齢化やメンタルヘルスへの対応が求められるこれからの社会において、病院や施設の「治療における安全性」と「自然との関わり」の両立を、私たちはどのように考えていくべきでしょうか。
今回の視察を通して、都市と自然、医療と景観を結びつける新たな可能性について、改めて考えさせられました。
さて、あなたのご近所の病院には、どんな“緑”がありますか?






