2010年代以降に見られるようになる合法化したグラフィティによる壁画について
ここまでに2024年4月号、2025年4月号、2025年9月号で、紹介したパブリックアートは、地方公共団体や企業が主体となって設置したものだった。それらはアーティストサイドから見れば様々な経緯を経て個別的に実現したものであったが、その全てがまず最初に地方公共団体や企業がパブリックアートを設置するという意志を持ったことによって始まるプロジェクトの結果だといえる。
そしてパブリックアートの制作者は、厳密に調べたわけではないが、その大半が、美術大学で教育を受けている。彼らのパブリックアート実現までの典型的な道筋を説明するなら、美術の専攻のある高校に進学するか美術の予備校に入って受験対策をして有名美術大学を目指す→美術大学で美術について4年から9年間程度専門的に学ぶ→作品を制作して展覧会に出品するなどして美術家としてデビューする→なんらかのかたちで美術家としての評価を確立して作品選定委員会やアートディレクターなどに‘選ばれて’パブリックアートを実現する、というようなものである。これは長い年月と学費などの費用を投じた壮大な道程で、人生の中でパブリックアートを実現するということは大変難しいことだと考えてよい。あえて比較するなら、プロ野球選手になる、紅白歌合戦に出場する、国会議員になるというようなことと同等かそれ以上なのかもしれない。パブリックアートを実現するアーティストはアーティストの中でも一握りのエリートなのである。
ここで整理するパブリックアートは、これらとは異なり、アーティストが自らの意志と行動により、自らの作品をパブリックアートとして自律的に実現するタイプである。これらが日本国内で散見されるようになったのは2010年代に入ってからのことであり、まだ若い始まったばかりのムーブメントであり、現状ではほぼすべてが壁画である。
そのやり方は、いたって簡単で、自分が壁画を描きたいと思う壁の所有者の合意を得て描かせてもらうというもので、SNSなどを使って壁画を希望する壁の所有者を募集するアーティストもいるし、アーティストと壁の所有者を仲介してくれる人や団体もある。塗料や足場など必要な費用はクラウドファンディングで集めることもできる。そして、その壁画の制作者は、調査したわけではないがその大半が美術大学で教育を受けていない。そのうえ、キャンバスなどに描いた絵画があって、それがすでに評価されていたというわけでもないのである。彼らの大半は、美術に関わる大学教育を受けることなくパブリックアートとしての壁画からアーティストとしてのキャリアをスタートしている。
といっても、彼らは自らの作品がこうしてパブリックアートの文脈の中で議論されていること自体に違和感をもつはずだ。なぜなら彼らの多くは自らのことをライターネームを使ってストリートで活動するグラフィティライターなのだが、いろいろあって今は合法的にやっているというぐらいに考えているからだ。





グラフィティには、数秒で一筆書き一色で自らのライターネームなどを描くタギング、それの発展形で中塗りとアウトラインの二色で描かれるスローアップ、時間をかけて多色で描くマスターピースなど多様な種類があるのだが、いずれも多くの場合、許可なく勝手に描くので違法である。ライターネームを使用するのは本名を描くとすぐに捕まってしまうからだ。日本では器物損壊罪になり違法侵入を伴う場合もある。ただし、ライターネームやグループ名などであるにせよ自分の名前を描くことがよくあり、このことはグラフィティの性質がいわゆる便所の落書きのようなものとは根本的に異なっていることを意味する。
グラフィティの歴史の始まりは、一般的には、1971年にニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたTaki 183というタギングに関する記事だとされている。80年代に入ると『ワイルド・スタイル』(1983)などのヒップホップ映画により、グラフィティはアメリカだけでなくヨーロッパや日本にも伝搬し、2000年代にはほぼ全世界に定着し、多くの国で、それらは単なる落書きとしてとらえられ景観や治安に悪影響をもたらす社会問題になっている。今日、違法なグラフィティライターの頂点に君臨しているのが覆面アーティストとして知られるバンクシー(生年不明)で、バンクシーは捕まらないように短時間で描くためにステンシルという型紙を事前に準備して制作を行っている。
だが、実際には逮捕されるなどするグラフィティライターも多く、アメリカでは制作中に撃ち殺されるようなこともあり、2010年代に入ると壁の所有者と合意して描かれる合法的なグラフィティが世界各地に見られるようになり、リーガルウォールという用語も生まれ、これらはパブリックアート化する。それらは、壁の所有者によって消されたり、他のグラフィティライターに上書きされてしまうこともないので、塗料の耐用年数に応じて存続できる。また、合法的なグラフィティは急いで描く必要がないから綿密な作業が可能となり高所作業車や足場を使用するなどして必然的に高水準でサイズの大きいマスターピースとなる。
この部分で特にPOW!WOW!(現WORLDWIDE WALLS)の業績が重要だ。これは、2011年にジャスパー・ウォン(生年不明)らが彼らの本拠地であるハワイ州のオアフ島カカアコ地区で始めたイベントにルーツがあり、地域活性化に現代アートを活用するという発想の中、子供向けのアートワークショップや若手アーティストへの支援などが行われ、その重要な要素として、壁の所有者とグラフィティライターを仲介して合法的なグラフィティをミューラルアート(壁画)として実現するというものがある。日本では、2015年に東京の天王洲アイル、2016年に神戸市六甲アイランド、2017年に神戸市中央区、2021年と22年に和歌山県白浜町で壁画の制作が行われた。特に2015年のPOW!WOW!JAPANをきっかけとして、各地で壁画のプロジェクトが展開するようになっただけでなく、日本のグラフィティライターが海外で活動するようになり、日米の有名企業が彼らのスポンサーになったり、アパレル、時計、ビール、スポーツ用品などの企業とのコラボレーションやCM出演などが実現し、一部のグラフィティライターたちはその経済基盤や社会的な立ち位置を短期間に一変させた。このあいだまで、夜中の街角をスプレー缶を持って走り回っていた人たちが、2020年代にはニューヨークのギャラリーの満員のオープニングパーティーでキャンバスに描いた絵画の前に立ち祝福に包まれている。



キース・ヘリング(1958-90)、バスキア(1960-88)、 バリー・マッギー(1966-)、インベーダー(生年不明)、スティック(1979-)、シェパード・フェアリー(1970-)、カウズ(1974-)など現代アートシーンに取り込まれたグラフィティ出身のアーティストは、コアなアートファン以外の支持を集めてたいがい大人気になるわけだが、グラフィティは、ヒップホップ・カルチャーの一つのジャンルである。
ヒップホップ・カルチャーは、「ラップ」「DJ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」 の4つの要素から成るとされており、1970年代のニューヨークで始まった。同じ70年代にカリフォルニアで始まったスケート・カルチャーとは近縁の関係にあり、どちらもストリート・カルチャーの一部である。ヒップホップというと音楽のジャンル名のように思う人も多いと思うが、そうではなく、音楽、文学、美術、ファッションなど広範囲にわたる一つの文化であり、すでに全世界に広がり定着している。タトゥー、大麻、アートトイ(ソフビ)などに関わる文化とも近い。
2021年に、アメリカ合衆国のジャマール・ボウマン(1976-)下院議員が、ブロンクスにある建物「1520 Sedgwick Avenue」をヒップホップ発祥の地として正式に登録する議会決議案を提出したとき「ヒップホップは文明の再生です。大陸、言語、文化、祖先から切り離された人々にとって、ヒップホップは、アフリカ系アメリカ人またはラテン系アメリカ人であることが何を意味するかを再発見するための一歩となりました。」と述べている。基本的には、ヒップホップ・カルチャーは、アフリカ系またはラテン系アメリカ人が自らのアイデンティティを再構築した結果生みだした文化だと考えてよい。
彼らが1970年代のアメリカでどうなっていたのかというと1960年代に吹き荒れた公民権運動を経て公民権を手に入れたものの彼らを取り巻く差別、失業、犯罪、貧困、暴力、父親の不在・・・など劣悪な社会環境は何も変化がなかった。このような行き詰まりの中で、彼らは、白人の考えた価値観に沿う黒人らしく生きるのではなく、自分らしく生きることを考えるようになる。このあたりの状況については、アメリカ黒人文学の立役者でノーベル文学賞作家のトニ・モリスン(1931-2019)の1970年代初頭の広く知られたいくつかの小説『青い眼が欲しい』(1970)、『スーラ』(1973)などに徹底的に描かれている。たとえば肌の色が薄い黒人のほうが濃い黒人より美しく優れているというような白人の考えた基準に沿う黒人ではなく、自分自身になりたいという欲望の中で、彼らは社会からの自律を果たし、彼らと社会は分離した状況を形成するようになる。ただし、ここで重要なのは、彼らにとってこの社会と分離した状況は、けっして理想的な状況ではないということだ。そして、自分らしさを突き詰めた結果として、自らが所有する車や付き合っている彼女を自慢したり、「金が欲しい」「上に上がりたい」などとラップするわけだが、それを聴いた日本人や韓国人やアメリカの白人を含む世界中の若者が「リアル」だと熱狂するのである。なぜなら社会に刷り込まれたものではない自分自身のパーソナルな価値観の所在をそこに感じるからだ。それはアメリカの人種問題を超えて普遍性をもつものだった。
こうしたヒップホップ・カルチャーと似たものがほかにないかと問われれば、筆者は、それはロマン主義だと答えたい。両者が創造する作品は全く性質が異なるが、両者の成立に関わる社会的な背景や原理はよく似ている。ロマン主義は、18世紀末から19世紀前半のヨーロッパで始まった。当時の古典的伝統とキリスト教に基づく価値観に凝り固まった社会において、そのカウンターカルチャーとして個人の独自性の重視、自我の欲求、憂鬱・不安・動揺・苦悩・愛情などの個人の感覚や感情に着目した多様な表現が文学、美術、音楽、演劇など多様な分野で巻き起こったのである。わかりやすくいうならロマン主義は、近代社会ではあたりまえになっている自分の感覚や感情に沿う表現の第一歩で、それは、一部の人々が当時の教条主義的な社会から自律したことによって生じたのである。その影響は今日にまで及んでいて、たとえば私たちが、日本アルプスを見てその雄大さに感動したり、あるいは恋愛したりするのも、ここでいちいちその根拠を説明したりしないがロマン主義の影響なのである。
そして、19世紀ロマン主義美術の中心的命題の一つに「芸術のための芸術」という思想があった。それは、芸術は政治、宗教、倫理その他のなにものにも拘束されず、完全に自律的にそれ自身のために存在するという考え方で、この一連のコラムの中で繰り返し言及している芸術の自律性という言葉の原点でもある。この思想は19世紀末には、唯美主義と結びつき、極端な芸術への愛情としてブレイクするが、一旦あきられて衰退してしまう。だが、20世紀になるとナチス政権やソビエト連邦の美術政策、日本の戦争画などへの反発から西側諸国において特に冷戦期に再び着目されるようになり、ここまでに述べてきたようにパブリックアートに大きな影響をもたらすことになる。
それで、ヒップホップ・カルチャーにも「芸術のための芸術」というような思想があるのかといえば、それは少し違うと思う。ヒップホップ・カルチャーにあるのは「自分のための自分」といような考え方で、上記の「芸術は政治、宗教、倫理その他のなにものにも拘束されず、完全に自律的にそれ自身のために存在する」の「芸術」を「自分」に置き換え、「自分は政治、宗教、倫理その他のなにものにも拘束されず、完全に自律的にそれ自身のために存在する」とすればしっくりするように感じる。
なんでなのかというと、ヒップホップ・カルチャーにはいくつかの注目すべき特徴があるからだ。たとえばラップには基本的にカバーが存在しない。だれかが作曲した名曲があって、それを他者が歌うことはなく、あくまで自分の曲を自分で歌う。ラッパーは他人の作った物語ではなく自分の言葉で自分の生き様を歌わねばならないのである。逆に、DJは、他人の曲を勝手にサンプリングして自分の曲を作ってしまうので、それがヒットすると権利関係の訴訟が頻発する。作品自体に対するリスペクトが不足している。ブレイクダンスは2024年のパリオリンピックにダンススポーツ競技ブレイキン種目として採用されスポーツの一種になってしまった。これは舞踊作品としての作品性やオリジナリティよりも技を繰り出すダンサー自体が重視されていることを意味する。一方、合法化したグラフィティには、ライブペイントというジャンルがあり重要だ。これは作品の制作現場を公開する一種のパフォーマンスであり、通常の絵画では制作過程に鑑賞価値が見いだされることは少ないので異質である。イベント終了後に完成作品が廃棄されたり上書きされてしまうこともある。ネット上には、グラフィティライターが壁画を制作中の動画が多数存在し、完成作品だけでなく制作中の重要性が常に示唆されている。また、作品名が付けられることがないわけではないがかなり少ない。無題というわけでもなく、作品名という概念自体が希薄なのである。作品名=ライターネームに近い。さらに、複数の制作者による共同制作が、主題と背景を異なる制作者が描く、隣り合う二つの作品が境界部分で融合する、など柔軟かつ多様な形態で頻繁に行われ、作品が他者と共有されることに対する抵抗感は低い。筆者は、この共同制作が作品の質的向上に劇的な効果を上げていると考えている。以上のようにヒップホップ・カルチャーでは制作者と作品の関係に特徴があり、通常より制作者が重要で作品の比重が低いのである。つまり、ロマン主義では制作者が創造する芸術作品がアウトプットしての価値をもち、そもそも作品として客体視される存在になっていたが、ヒップホップ・カルチャーでは、制作者とそれが創造する芸術作品はかなり一体的で完全には分離していない。ロマン主義とヒップホップ・カルチャーはともに一部の人々が所属する社会から自律することにより生じたところや自分らしさに着目するところは似ているが、制作者の創造物としての芸術作品を重視する「芸術至上主義」のロマン主義に対し、ヒップホップ・カルチャーは制作者自身に着目する「自分至上主義」なところが異なっている。



そして、ヒップホップ・カルチャーは、自分自身に着目する中で、自分自身を観察し理解を深めるために、自分自身と自らの視点を分離して、自分自身の内面を客体視するようになっているのではないか。ヒップホップ・カルチャーがアメリカローカルなものではなく全世界に広がり普遍性を得たのはこの部分に原因があるように筆者は考えている。
私たちは自らの内面と視点の位置が一致しているので、私たちの視点からは自分自身以外の社会が見えていて、私たちはその社会の一部であり両者は一体的で融合している。壁もまたその社会の一部であり、壁の所有者の権利は法律で社会的に保障され、そもそもそこに落書きなどする必要がない。
グラフィティライターは自らの内面と視点の位置が異なるので、グラフィティライターの視点からは社会と自分自身およびその内面が見えていて、両者は分離している。壁は自分自身とは無関係な社会側の要素であり、そこにグラフィティを描けば、それが違法であるかどうかに関係なく両者は融合し一体的なものになり、それは魅力的で必要な望ましいことでもある。
上記の構造をグラフィティが始まった1970年代初頭のアメリカに当てはめるなら、「私たち」を白人に、「グラフィティライター」を黒人に置き換えることになる。
グラフィティライターがグラフィティを描く目的は、社会に関与しそれを自分にとって少しでもよいものに改変し、自身と社会の融合を図ることなのである。これは、私たちが選挙に行って投票する目的とだいたい同じなのだといえる。
こう考えるとグラフィティは、民主主義的な性質を保有していることがわかる。ヒップホップ・カルチャー全般についていえることだが、それは民主主義と親密な関係があり、双方には様々な共通点が認められる。こうなるのは、そもそも前述したようにヒップホップ・カルチャーの出自が公民権運動など民主主義と関係しているので当然のことなのかもしれない。たとえば、民主主義における政策と政治家の関係とヒップホップ・カルチャーにおける作品と制作者の関係は、どちらもそれらが分離せず一体的でかつ後者の政治家や制作者が重視されるところが似ている。また、自分の選挙区に自分の名前を書いたポスターを貼りまくる政治家と、自分の行動範囲にライターネームを「ボム」りまくるグラフィティライターのやっていることは、表面的な行動の在り方に関しそれほど違わない。さらに、中国政府が2018年より、いわゆる「ヒップホップ禁止令」を発令していることも重要だ。禁止の理由について中国政府は表向きはヒップホップ・カルチャーが不健全な外国文化だからだとしているが、社会批判や体制批判などを行うラップなどの性質に警戒しているのは明白で、ここにもヒップホップ・カルチャーの民主主義との親密な関係が見える。
通常のパブリックアートは、冒頭で述べたようにエリートなアーティストが選ばれて作品を制作する権利を独占している。パブリックアートは公共的な場所に設置され、だれもが日常生活の中で接することになるものなのに、パブリックアートを制作する権利に対しては著しい制限が制度化されている。適法性の有無を問わずパブリックアート化したグラフィティは、制作者が自らの出自や能力にかかわらず自律的に実現したという点で、すべての人が平等にパブリックアートを制作する権利を得る可能性を示しており、これは民主主義社会特有のパブリックアートの方向性や在り方を示すものだ。
そして、その多くが美術大学で学んでいない彼らの「リアル」な作品を見た後、エリートなアーティストたちが創造したいつものアートを見ると、筆者はそこに「共有された正しさ」や「啓蒙」や「教条的」とでも言いたくなるような微妙に屈折した感覚を感じてしまう。それは美大の味がする。大学での美術教育は、それを受容する人に知識や技術や思想などに関わる大きな果実をもたらすが、一方でそれと引き換えに何かをほんの少し喪失させるのではないだろか。それが何かといえば、社会に刷り込まれたものではない自分自身のパーソナルな価値観に基づく自律的な表現なのだと思う。
だが、2020年代に入ると、パブリックアート化したグラフィティははやくも危機を迎えている。有名になった一部のグラフィティライターに対し、地方公共団体、国の省庁、外国大使館、有名企業などが予算を編成してパブリックアートのコミッションワークを発注するようになったのだ。中には描いてほしい具体的内容や、極端な場合、描いてほしい人物までも指定する事例が見られる。こうなってくると、昔、陸軍や海軍がやっていた戦争画とどこがちがうのかわからない。パブリックアート化したグラフィティの自律性はこれからどうなるのだろうか。



違法なグラフィティは、違法という点だけでもすでに社会から極端に自律した性質を保有しているといえる。合法化したグラフィティも合法的な存在にはなっているものの自律的に実現されたパブリックアートとしての性質をもつ場合が多く社会からの自律性は高い。美術に関する大学教育などからの距離もあり、この点でも通常のパブリックアートと比較して自律性の高さが期待できる。だが、だからといって、合法化したグラフィティが高い自律性を保有するパブリックアートなのだと考えるのは間違っている。多くのグラフィティライターは冷戦期のパブリックアートの制作者が社会に貢献することのない社会から自律した作品を制作したいと考えていたようには全く考えていないようだ。ここで、2025年の大阪・関西万博のパブリックアートの一つをコミッションワークとして制作したアメリカで活動する日本人グラフィティライターのCOOK(生年不明)の万博公式webサイトへの発言を紹介したい。
「本作品は、コンセプトを万博にしています。デザインの中にある虹はSDGsを表現していて、キャラクターの色が全部違うのは、人種をイメージしています。真ん中にミャクミャクが居て世界の人達と仲良くして、世界が平和になるイメージでデザインされています。生えている花は色々な国の花を描いています。それによってくる蝶を描き、美しい未来をイメージしています。WORLD EXPO 2025と入れたことによって、一目で万博のデザインだと分かるようにしています。」
COOKは、社会に貢献する作品を制作することにより人々に喜ばれ自らと社会が一体化することを明確に期待している。つまり、グラフィティライターは自らの作品を自律的にパブリックアートとして実現するという従前のパブリックアートにはない高度な自律性を獲得すると同時に、結果として創造される作品は社会から自律するのではなく、社会に貢献し多くの人々に好意を持って受け入れられ社会との一体化を目指すという逆方向の性質を保有している。なぜなら、グラフィティライターは社会と一体化し、自らと社会の分離された状況を解消したいからだ。
芸術の自律性という価値観は前回述べたように自由主義的なもので民主主義と必ずしも馴染むものではない。特に近年の民主主義社会における人々は、社会との一体感のようなものを期待しはじめており、それは西側諸国でたとえば排外主義的な思想となって選挙結果に表出しつつある。そして、最近の日本のラップにおける排外主義への賛否をめぐる状況を見ていると、ヒップホップ・カルチャーはこのような風潮の中で活性化しているようにも見える。民主主義と馴染むアートは社会から自律したものにはならないのではないか。言い換えれば、民主主義になじむパブリックアートは、自由主義と馴染みがよくない可能性がある。
今日の世界を見渡すと、民主主義がなかなかうまくいかない国が多いので、日本は民主主義が進んだ国だと思いがちだが、本当は日本の現在の民主主義はそれが民主主義だと言えるかどうかも怪しいものなのかもしれない。パブリックアート化したグラフィティは、ここまで述べてきたように民主主義と親密なものだが、その作品の水準は近年急速に向上している。2021年以降の作品は2017年以前の作品よりも一段階水準が上がったように感じられる。2025年の大阪・関西万博では合法化したグラフィティは、コミッションワークとなりパブリックアートプロジェクトの中で中核的な位置を占めることになった。グラフィティから出発したカウズが2010年代後半に成し遂げたように、グラフィティはアートトイ(ソフビ)を経由して、彫刻への道を切り開こうとしているようにも見え、今後の発展的な展開に注意が必要である。
こうした流動的でパワフルな作品群を見ていて想像する未来の進んだ民主主義社会は、人々が一体感を求めて何かに離合集散を繰り返すカオスな騒乱の社会なのかもしれない。








