今回はユニバーサルデザイン(以下、UD)の歴史的経緯を国際的な流れから振り返ってみたいと思います。ちょっと教科書的になってしまいますが、どうぞご容赦ください。
障がい者と健常者を区別することなく、それぞれが役割を担っていける社会を形成しようとする理念。その始まりは、1950年代の北欧における「ノーマライゼーション」だとされています。これはご存じの方も多いのではないでしょうか。
ノーマライゼーションは、障がい者が一般市民と同様の普通の生活や権利を保障される社会を目指す考え方です。これが普及していくとともに、1960年代以降には大きな動きが生まれます。米国カリフォルニア州バークレーを発祥とした「自立生活運動」に代表されるように、障がい者への社会の対応が「庇護(ひご)」から「自立」へ、そして「施設収容」から「地域での暮らし」へとシフトし始めたのです。
こうなってくると、必要なのが地域における車いすなどに対応した住宅や公的な施設などの環境整備。いわゆるバリアフリーの始まりです。この流れに伴い、米国では1961年に最初のバリアフリーデザイン基準が策定され、生活環境に関するバリアフリーが進展していくこととなります。
また、この頃の米国におけるバリアフリーの普及には、実は「戦争」が大きく影響しています。ここは意外に思われるかもしれません。米国において退役軍人が大きな政治力を持っていることはよく知られていますが、バリアフリー化を進める背景には、朝鮮戦争やベトナム戦争から帰国した傷痍(しょうい)軍人の暮らしを支えるという目的があったのです。
一方、1970年代後半になると、新たな問題に直面します。バリアフリーが「身体障がい者のため」という枠を脱することができず、基準の運用が障がい者に特化しすぎているのではないか、という批判が起きたのです。例えば、障がい者用の賃貸住宅が一定の割合で建設されても、「家族が使いにくい」「障がい者以外は借りない」といった問題が浮かび上がりました。さらに、規制を強める「リハビリテーション法504条」が施行されると、住宅業界からの反発は一層強まります。「過剰整備ではないか」という指摘です。この点はいまだに議論になるところですね。
このような問題を解決しようとして生まれてきたのが、UDの考え方です。特定のニーズを満たすために特別のデザインをするのではなく、なるべく多くの人が使える仕様を最大限まで共通化し、それに個別対応にならざるを得ない設備を組み合わせる。さらには、その組み合わせの多様性をできるだけ確保し、かつ共通領域をできる限り増やしていくよう創意工夫を続けていけば、あらゆる人にとって特別な配慮を必要としない環境整備が可能なのではないか、そういった理念です。
「デザイン」という言葉のせいか、モノや空間自体を指す言葉だと思われがちですが、その理念を紐解いていくと、多様な人たちの社会参加を可能にする「条件・環境づくり」のことであり、決してモノや空間のあり方だけを指すのではないことがよくわかります。
では、このようなUDはどのように成立しているでしょうか。ここは、米国のUDを導く法律である「ADA(障害のあるアメリカ人法)」を見るとよく理解できます。ADAは、日本のバリアフリー法と同様に「建築物や施設整備における配慮を義務づけたもの」として紹介されることが多いですが、それは決してADAの全容ではありません。ADAはあくまでも、包括的な「差別解消」のための法律です。内容には、民間企業の雇用、不特定多数の集まる公共的施設、交通機関における差別禁止などが含まれており、それらを実現するための施設整備や、ソフト面を含めた「合理的配慮」が義務づけられています。
例えば、車いすを利用する人が、入り口の段差を理由に施設を利用できなかったとします。これは「他の人と同じように社会へ関わっていく参画の権利」を侵害することになるため法律違反となり、施設管理者には段差を取り除く整備が義務づけられます。一方で、どこでも施設整備が義務づけられるかというと、そうではありません。整備を行うことで歴史的風致や環境的な価値を損ねてしまう場合や、過大な経済的負担が生じる場合はその限りではありません。しかしその場合でも、施設管理者には、一般の人と同様のサービスを提供できるよう、ソフト面での配慮をすることが求められます。
つまり、いかなる利用者が対象であっても、雇用や公共サービスにおいて、合理性を欠いた不当な扱いは認められず、他の一般の人と同等のサービスの享受や社会への参加が実現されるよう、できる限りの努力を社会に求める、ADAはそこを保障するものとなっているのです。


このように、多様な人々が公平に利用できる環境をつくりあげていこうとするUDの理念は、それに応じた「法的枠組み」があって初めて成立しうると考えられます。「人にやさしい施設整備」といった情緒的なニュアンスとは違い、「コンプライアンス(法令遵守)」の色彩が強いのです。
海外のUDが紹介される際には、施設のデザインの素晴らしさに注目が集まりがちですが、それらはその素晴らしさを成立させる「仕組み」があってこそ。海外のUDを見る際には、ぜひそのような観点にも注目していただけると、より理解が深まるのではないかと思います。ではまた。






